【知ってた?】コンピューターの生みの親は犯罪者?天才数学者の数奇な人生【大人の雑学】

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大変です。グーグルに趣味が完全にばれてます。

どうもアイダさんです。

突然ですが皆さんはスマホって使っていますか?

おそらくほとんどの人がスマホでこの記事を読んでくださっているかと思います。

では、スマホを動かすコンピューターの生みの親って誰か知っていますか?

正解はアラン・チューリングです!

これ、意外と多くの人が知らないんですよね。

今回は、コンピューターの生みの親にして、第2次大戦期には暗号解読により連合国を勝利に導いた天才数学者、アラン・チューリングについてお話していきたいと思います。

彼は、いったい何者だったのか、そしてなぜ「犯罪者」の烙印を押されることとなったのか?

彼の激動の人生を見ていきましょう!

大学入学まで

幼少の頃より、数字に強くパズルが得意であったアラン・チューリングは、14歳のころにシャーボーン・スクールというパブリックスクール(日本でいう中高一貫校)に入学します。

彼は、特に数学と科学において才能を発揮します。

具体的には、微分積分を習っていない段階でより高度な問題を解いたり、16歳でアインシュタインの論文を理解しただけでなく、彼の疑問点を外挿したり…

彼の才能に気付いた当時の校長は、彼の両親に向けて「単に科学者になるのであれば、パブリックスクールに通うのは時間の無駄です。」といった手紙を書いたようです。

この時点で天才数学者の片鱗が見えまくってますね…

そして、学問以外でも、この先の人生を決定づける重要な経験をします。

それは、恋です。

その相手は親友のクリストファー・モルコム。

そうです、彼は同性愛者だったのです。

しかし、彼の恋した少年は牛結核症に感染し死亡してしまいます。

この経験から、彼は無神論者になり、唯物論的な考え方をするようになったと伝えれれています。

大学時代と研究時代

ケンブリッジ大学キングス・カレッジに進学した彼は、ここでも数学で優秀な成績を収め卒業。

その後、「中心極限定理」を証明した論文により、同校のフェロー(特別研究員)に選ばれます。

研究者になった後も精力的に活動した彼は、「計算可能数、ならびにそのヒルベルトの決定問題への応用」という重要な論文を発表します。

この論文の重要性は正直、筆者にもよくわかりません(笑)

ただ、ものすごくかみ砕いていえば、「想像上で初めてコンピューターを作った」という感じのようです(お詳しい人がいましたらコメント等でご指摘いただけるとありがたいです。)。

そしてこの研究が、学術以外の分野で後に大きな成果を上げることになります。

その後、彼はアメリカのプリンストン高等研究所に移り、ここで博士号を取得します。

この時、次の章で重要になってくる「暗号理論」にも触れていたといいます。

第2次世界大戦時の暗号解読

イギリスへの帰国後、第2次世界大戦がはじまると、彼は暗号解読者としてイギリス軍に招聘されます。

第2次大戦中、ドイツ軍は「エニグマ」と呼ばれる強力な暗号機を使って、奇襲を仕掛ける戦略を得意としていました。

この奇襲攻撃に備えるため、連合国軍はエニグマの解読に乗り出しますが、なかなか攻略の糸口がつかめずにいました。

というのも、エニグマによって作られる暗合のパターンは1億を優に超える天文学的な数字であり、しかも、その暗号化のパターンが1日1回変わってしまうのです。

24時間のタイムリミットのなかで、膨大なパターン数をすべて調べ上げることは人間の手では到底不可能だったのです。

フランスやアメリカがエニグマの解読を投げ出す中、チューリング擁するイギリスは懸命に解決の糸口を探します。

そして、1940年、試行錯誤の後、彼はエニグマを解読する装置の設計図を完成させます。

彼が大学時代に作り出した、「想像上のコンピューター」という考え方がこの設計には大きな助けになったようです。

こうした、チューリングの活躍もあり、イギリス含む連合国側は第2次世界大戦を勝利することになります。

戦後から晩年にかけて

戦勝に大きく貢献した、チューリングでしたが、彼が英雄として人々から称賛されることはありませんでした。

彼をはじめとした、暗号解読チームは軍の最高機密にあたるとして、戦後もその任務の口外を禁じられたのです。

そして、1952年彼は、19歳の青年と同性愛関係があったとして、警察に逮捕されることになります。

当時のイギリスでは同性愛が違法だったんですね…。

彼は研究者としての地位を奪われ、世間から強烈な蔑みをうけました。

そして、2年間重いうつ病を経験した後、1954年、自ら命を絶ちました。

部屋には、かじりかけのリンゴと青酸カリが入った瓶が見つかったことから、自殺と断定されたようです。

死後の再評価

彼の死後、政府は彼の功績をたたえOBE(大英帝国勲章)を与えることを発表。

さらに、コンピューター学者における国際的な学会、ACMはコンピューター科学の分野における賞として、チューリング賞を設けました。

現在ではこの賞が、コンピューター科学におけるノーベル賞とされています。

そして、2009年チューリングが同性愛によって告訴されたことを謝罪させるという請願活層に数千の署名が集まったことで、政府は異例の謝罪を行いました。

また、2012年には正式な恩赦が認められ、キャメロン大統領が彼を称賛する声明文を発表しました。

おわりに

いかがでしたか?

彼は人生の最後の瞬間何を思ったのか。考えるだけで胸が痛いですね…

最後に筆者がこの記事作るきっかけになった映画を紹介して終わりたいと思います。

映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』

人気俳優ベネディクト・カンバーバッチがチューリングを演じる同作品は、第87回アカデミー賞の8部門でノミネートされています。

チューリングの人生をリアルに、そして濃密に描いている素晴らしい作品だともいます。

なかなか、伝記を読むのがつらい…という方にはおススメの作品です!

コメント

  1. […] […]

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